バイクショップ八尾カワサキがお届けするハーレーダビッドソンと共に風を感じるライフスタイルマガジンです。
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コラム1

「ハーレーダビッドソン」とはなにか? その3

 三度登場の上代兄です、宜しくお願いします。

今回はバイク本体の話では無く、メーカーとしてのハーレーダビッドソンの話をして行きたいと思います。

まず最初に、みなさんは、ハーレー本社がどんなところにあるかご存知ですか?

所在地のウィスコンシン州ミルウォーキーは、五大湖周辺の工業地帯なので、デトロイトの様なロックンロールな自動車産業都市であろうし、200km程南下すれば隣接するイリノイ州シカゴなので、映画『ブルースブラザーズ』みたいな、ブルースが流れギャングが闊歩する様なエキサイティングな大都会なんだろうと、私は勝手にイメージをふくらませていました。

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 私が始めてミルウォーキーに訪問したのは、メカニック研修の為に行った、2000年の3月でした。フロリダ州でデイトナバイクウィークを見て回り、半パンTシャツで過ごしていた私達は、ミルウォーキーへと移動して最初に見たものは、道路脇に除雪された雪の小山でした。到着したのが夜遅かった為、ホテルで食事も用意できないと言われた私達は、レストランを探し回ったのですがコンビニすら見当たらず、深夜になるまで郊外を探してようやく夕食にありつけたのでした。

本土内だけの移動でしたが時差もあり、気候も正反対の為、全く違った国に来たような気分でした。デイトナではツアーの添乗員が不眠となり神経をやられて、先に帰国する原因となった、一晩中途切れない賑わいをみせたハーレーの轟音は、ここミルウォーキーでは本社へ通勤するスタッフ2人分だけでした。

 

 青空の下、緑に囲まれた中にたたずむ、歴史を感じさせる煉瓦造りのビルがハーレー本社といえば思い起こされるイメージですが、私がミルウォーキーへ行って感じた事は、この街の、なぜここにハーレー本社が?っていうぐらいの「ド」が付くほどの田舎町です。これがハーレーダビッドソン創設の1903年当時、今から110年も前なら、想像をはるかに越えた状況下であったろうと推測出来ます。最近見た旅行ガイドにはウィスコンシン州の紹介はハーレーの事を含めても数行しかなく、人口よりも、牛の数の方が多いと書いてありました。『あらいぐまラスカル』の舞台がウィスコンシン州だと言えば、皆さんにどんな街かイメージがしてもらいやすいでしょうか?

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 夏は短く、冬は長いし巨大なミシガン湖が凍結する程寒く、オートバイに乗るには気候がいいとも言えない(そういえばハーレーはスノーモービルも作ってもいました!)交通の利便性も無い、これと言った特色の無い寂れた街に、悄然とそそり立つ煉瓦造りの本社ビル(意外と小さい)これがアメリカ唯一のオートバイメーカーの本社なの?って、くらい場違いな印象を受けました。でも、もちろん感動はしましたし、バーアンドシールドのモニュメントの前で、葵の御紋の印籠にひれ伏すがごとく、忠誠を誓ったもんですが…。

 ミルウォーキー全般に言えたことなんですが、人混みを見なかったのと、人々もノンビリとした雰囲気でした。本社での雰囲気もやはりノンビリしたもので、働くスタッフもフランクですが、どちらかというと都会的でない朴訥な雰囲気の方が多かったです。

そして、道を挟んだ向かい側にはミラービールの巨大で近代的な本社社屋があり、ハーレー本社の意外な小ささとは対照的でしたが、まあ考えてみれば、そちらは敷地内に醸造所もあるので、広いのは当然でしょう。そして、ハーレー本社の講師が言うには、そのミラービールの敷地の中には、あのハーレー創業当時の小屋が数年前まで建っていたと言うんです、しかも信じられないことに、取り壊されて廃棄されてしまって、今ハーレー本社屋上に有る小屋は、残念ながらレプリカだと言うんです…。嘘か誠か、ジョークなのかの真偽はわかりませんが、ミルウォーキーという地域的な風土や、外の世界をあまり気にしない様にさえ見える本社の社風からは、あり得る話だな〜と思いました。

 

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 ちょっと皆さんのイメージを損なってしまうかもしれませんが、ハーレーの聖地のミルウォーキーって、全然アメリカっぽく無いんですよ!建物はヨーロッパ調だし、今でも住んでる人はドイツやポーランドの移民の子孫が四割を超えていて、ビールの生産にしてもドイツ発祥ですし、地元のイベントも民族衣装で異国情緒たっぷりらしいです。そもそもハーレーさんとダビッドソンさんはユダヤ人で、ダビッドソンって名は古代イスラエルのダビデ王からの由来ということで、アメリカを象徴するオートバイであるハーレーダビッドソンとはネーミングにしても、発祥の地にしても僕が想像していたアメリカっぽくは無いですね〜。

 

 しかし、アメリカって国は生粋のアメリカ人って人間がいる訳でもなく、アメリカはいろんな国の移民で構成されていますからと書いている途中で、生粋のアメリカ人がいる事に気が付きました。北米大陸元々の住民である『インディアン』、奇しくもハーレー最大のライバルのオートバイメーカーの名前ですが、残念ながら倒産し、現在は違う会社が受け継いで経営しています。ハーレーは110年も続いているので、私達の持っているイメージというのは、後から付いて来た物も多くあるのかもしれません。110年も前の異国の地で、生活習慣も全然違う中での創業時の状況ってピンときませんが、1903年といえば、ライト兄弟の動力付き飛行機の初飛行の年でもあり、何かやってやろうというようなムーブメントが盛り上がった新世紀だったのでしょうか? 何もない状態からオートバイを創り上げたハーレーとダビッドソン兄弟のチャレンジングスピリットはやはり尊敬に値しますし、その後の製品にも、インディアンの様に新機軸を盛り込んだり、高級路線を狙うのとは違い、ドイツ人気質の実直さと、むやみに変えない頑固さ、地域的な保守性が反映されている様にも感じ、ある意味では柔軟性に欠けた会社っだたのかと思います。

 

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 ハーレー本社は2000年頃まで、マーケティングというものをほとんどしなかったそうです。当時のアメリカでのオーナーの平均年齢は60歳。ライフスタイルとして、定年したら家を売り払って、キャンピングカーかハーレーを買って、夫婦で年金をもらいながら旅行するのが老後の過ごし方なんだって言ってました。そう言われてみれば、車種の構成も構造もオーソドックスで、とてもマーケティングにもまれた商品ではないように思います。でも、アメリカ唯一のメーカーの座に胡座をかいているとか、製品の改良に手を抜いてるとか、時代遅れとかそんなんじゃ無くて、実直に自分たちの製品を作ってさえいれば、アメリカの国内では確実に受け入れられてきた風習があったんだと思います。

 しかし、世界戦略を視野に入れ、ツインカムエンジンの発表と共に、ハーレーダビッドソンは、イケイケどんどんの大躍進を遂げてきました。

水冷ユニットの市販車発売、ビューエルブランドの拡充、パーツや衣料品のブランドビジネス推進。巨額な費用のかかったHDミュージアムの建設(ブランドイメージ強化の為?)一時期は『MVアグスタ』という、経営が悪化し収益が見込めないオートバイメーカーをも買い取って傘下へ収めました。ビューエルもハーレーエンジンでなく、ロータックス製のエンジンを積んだモデルを出したりして、基本的なハーレーの製造販売という本業からどんどん外れ、バブリーに突っ走っている様に見えました。

 

 しかし、2008年のリーマンショックでハーレーも大打撃を受けます。車体やパーツが売れなくなるのは勿論ですが、それにも増して深刻だったのはハーレー本社のファイナンシャル部門(自社融資のローン部門)において、回収不能な債務が数多く発生しました。

ビューエルブランドの撤退に始まり、当然MVアグスタは大赤字の売却額でも即処分、サイドカーのボディ等の樹脂製品を生産していたトマホーク工場の売却を検討、最も有名なヨーク工場も閉鎖を検討、12%の従業員をレイオフ等、未曾有の対応によって経営を立て直すと共に、「今後我々は、自社のブランドにふさわしい製品だけを売って行く」との原点に立ち返った経営方針を打ち出しました。

 一時はハーレー自体、倒産するかと思われましたが、インディアンやトライアンフと違い、自力で立ち上がり、力強い声明を出してくれました。これからの製品についても、ハーレーらしい、ハーレーでしか作れない物を作ってくれるでしょう。次期モデルとして噂される半水冷エンジンを積んだニューモデルにしても、バブルに浮かれた頭で考えた『商品』では無く、110年続けてきた、普遍的な『ハーレーダビッドソン』として継続される物を真剣に考えて出してくれると私は期待していますし、そうなると確信しています。

 
 後一ヶ月程した8月の終わりになると、待望の2014年式ニューモデルの発表が有りますが、ワクワクして発表を待ちたいと思います。

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